記録を残さないのはもったいない。
いつからこのように考えるようになったのか、その起点に遡ることはもはや難しいのですが、とにかく今はこのように考えています。
この考えを強く下支えしているのは、
- 記録を残すといいことがある
という信念。
この信念は、これまでに「記録を残すことでいいことがあった」という実体験を幾度となく繰り返したことで育まれたものと思われます。
ということは、仮に「記録を残しても、さしていいことはなかった」という実体験を繰り返した人がいたとしたら、その人の信念はまったく違ったものになるでしょう。
人それぞれに自分が自分らしくあるための信念があるはずです。
それゆえに「記録を残すといいことがある」のになぜあなたは記録しようとしないのか、と詰め寄ることはしたくありません。
とはいえ、現状どんな信念を持っている人でも、一度は記録というものについて、実際に手を動かしながら考えてみることは無駄ではないと考えています。
記録が意味を持つのは、記録した本人にとって意味があるときだけ、だからです。
それは、残した記録が思わぬ形で回収できたとき、です。
つまり、どのように回収できるのかを前もって決めておくことはできないのです。
というより、前もって決めなくてもいい、と言った方がいいかもしれません。
以下、僕自身の「思わぬ形で回収できた事例」を引きつつ、「記録を残すといいことがある」について考えてみます。