クロノス的な記録とカイロス的な記録

ちょうど20年前の話ですが、2005年に「話し方教室」に通っていました。

その名の通り、「話し方」を教える社会人向けの学校です。

日記をふり返ってみると、毎週水曜の夜に全部で12回の新宿での講義があり、認定講師がテキストに沿ってレクチャーを行い、受講生も実際に皆の前に立って話すという「ワーク」もありました。

ちなみに上記の「毎週水曜の夜に全部で12回の新宿での講義があり」という定量的な記録はTaskChute2(Excel版)で残した実績記録をエクスポートした、月ごとのテキストファイルを全文検索することで回収しました。

少し込み入った話になりますが、秀丸エディタの「grep」という全文検索機能を使って複数のファイルを対象に指定したキーワードが含まれる部分を抽出します。

以下が「話し方教室/講義@新宿」というキーワードで実際に抽出した結果です。

自分の日記のみを対象にしたGoogle検索のようなものです。

Googleの検索結果と同様、それぞれの行をクリックすると、そのファイルの該当行が表示され、より詳しい記述を読むことができます。

以下は一番上の8月3日の行(=第1回目の講義)をクリックして8月のファイルの該当行が表示されたところです。

この数行の記録から、この日は八丁堀での予定の後、新宿に移動し、話し方教室までのカフェで仕事をしていたことが窺えます。

ただ、このような記録を読み返しても、“収穫”は多くないと個人的には感じます。

電話帳を上から順に読むような感覚で、今回のように「話し方教室に通っていた頃はどんな毎日を送っていたのだろう?」といった素朴な疑問を解消する上では役に立ちますが、より高い解像度を求めると、物足りないのです。

このような記録は言ってみればクロノス的な記録であり、読み返してもさほど感情は動かないのです。

読み返すからには感情が動くような体験をしたい。

そんな体験ができたとき“収穫”が得られたと実感できます。

そのためにはカイロス的な記録である必要があります。

では、カイロス的な記録とはどのようなもので、これを読み返すことで具体的にどんな“収穫”が得られるのか。

これについて掘り下げてみます。

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