「いつかやりたいこと」とどう向き合えばいいか

最近「いつかやりたいこと」について考えています。

「いつかやりたいこと」という言葉には実に甘美な響きがあります。

人によってイメージは異なるとは思いますが、たいていは「いつかやりたいこと」はカラフルで彩り豊かなものであることが多いでしょう。

一方、その対極にある「日々当たり前のようにこなしていること」はモノクロームで冴えないものであり「退屈」のレッテルが貼られがち。

モノクロームで地味な毎日を過ごすからこそ、カラフルな「いつかやりたいこと」が際立つわけです。

「やりたい」タスクと「こなしている」タスクと

いま、

  • いつか「やりたい」
  • 当たり前のように「こなしている」

と、あえて異なる動詞を使いました。

改めてタスクシュートに目を向けてみて、そこに並んでいるタスクを実行することを考えてみたとき、どちらの動詞がよりしっくりくるでしょうか?

例えば、以下のような実際のタスク名一つひとつについて当てはめながら考えてみます。

  • 朝食
  • メールチェック
  • 昨日のEvernoteの読み返し

例えば、「朝食」の場合。

「いやぁ~、いつかこういう朝食を食べてみたかったんだよな~」と感慨に耽りながら摂る、ような日ももしかしたらあるかもしれませんが、毎日ではないでしょう。

そうなると、「こなす」方が近い。

取りかかるときに別段ワクワク感を覚えることはないわけです。

「メールチェック」についても同様でしょう。

朝のなるべく早い時間帯に「一応目を通しておく」という、軽い義務感に背中を押されながら取り組むタスクと言えます。

朝から外出や会議が続き、夕方になってようやく受信箱を確認できた、という日もあるかもしれません。

そのような日は「急ぎの仕事がまだ残っているけど、ひとまずチェックしておかないと」という、やや強めの焦りに駆られながら取り組むことになるでしょう。

では、「昨日のEvernoteの読み返し」はどうか?

このTCジャーナルでも何度も書いているとおり、僕にとってこの「昨日のEvernoteの読み返し」は実に意義のある、“ジューシー”なタスクの1つです。

毎日最低でも45分はかけていますし、ここ10年近く欠かしたことがありません。

数日溜めてしまったことはありましたが、毎回どうにかキャッチアップできています。

それこそ、急ぎの仕事がまだ残っていても、それを差し置いてでもやりたい。

仕方なく急ぎの仕事を優先するときでも「早くEvernoteの読み返しに取りかかりたい」と後ろ髪を引かれるほどです。

このようなタスクが一日の中に一つでもあれば、その日は彩りのある一日と言えるのではないでしょうか。

つまり、「いつかやりたい」という形容は、「今はできないけど、将来のどこかの時点でやりたい」という字義通りの意味ではなく、「いつでも、とにかく、わずかな時間でも、やりたい!」というあふれんばかりの願望がそこに漂うものだと思うのです。

「いつでも、とにかく、わずかな時間でも、やりたい!」と、明確に言葉で認識できなかったとしても、「少なくとも今やっていることは、いつかやりたいことでは断じてない」ということは分かるでしょう。

今日、たまたま1997年(会社員2年目)の日記を読み返していたのですが、そこに次のような一行がありました。

1997/09/10(水) 今日は早く帰れたのに、あまり時間を有効に使えなかった。何に集中すれば良いのか絞り切れていないからだろう。

意味するところは、

  • いろいろとやりたいことがあるはずなのに、実際にやろうとすると具体的に何をやればいいのかが分からない
  • その結果、時間を無駄にしてしまう

ということです。

このような空回りの状態は実にもったいない。

だからこそ、この「やりたい」という自分の気持ちをハッキリと捉え、時間という歯車にしっかりと噛み合わせることで、「ああ、自分がやりたいと思えるのはこういうことか!」と感じられる時間を少しでも増やしたい、増やしていただきたい、と考えています。

ということで、今月はこの「いつかやりたいこと」というものを、タスクシュート上でどのように扱っていけばいいのかについて考えてみます。

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