2026年に入ってから僕自身「不調」を患っています。
「身心」のうち「身」は比較的良好なのですが、「心」が不調。
このように判断できるのは、記録が残っており、これを参照することで確認できているからです。
「身」については睡眠や食事、運動などを途切れることなく淡々と続けられているのに対し、
「心」については思うに任せず、うまく制御できていない。
「続けられている」あるいは「うまく制御できていない」ことが記録から手に取るように分かるのです。
そもそも、こうして「不調」を実感している中でも記録と振り返りだけは続けられていることに我ながら驚かされるのですが、それを続けられている限りはこの「不調」がそれ以上進行することはないのではないか、と感じています。
記録と振り返りは僕にとっては生きる基盤あるいはよりどころであり、これが続けられている限りはいつでも「復調」することができるはず。
そのように考えています。
なぜなら、残した記録には「復調」のためのヒントや突破口が見え隠れするものだからです。
仮に記録と振り返りの習慣がなかったとしたら、「不調」の実感は記録ではなく記憶によってもたらされることになるでしょう。
記憶は参照するたびに知らぬ間に“改変”されることが多いため、そこからは間違った“サイン”を読み取ってしまいかねません。
例えば、
- 以前できていたことができなくなっている
- 人と比べて自分は能力的に劣っている
- 人が当たり前のようにできることが自分にはできない
といった、記憶におけるネガティブな面ばかりを参照し、それが新たな記憶として上書きされ続けることで、ますます「不調」が進んでしまう。
記録が残っていれば、無意識に続けていることや「復調」に向かっているサインをそこから読み取ることで、それ以上の悪化を防ぐことができる。
これには確かな実感があります。
つまり、人が「不調」に陥るのは記憶のみに頼っているからではないか、と考えられるのです。
このあたりについて、僕自身の不調体験とそこから復調に向かう過程で気づいたことを交えつつ、記録と振り返り習慣を日々どのように役立てているのかについてご紹介します。
セミナートピック
- 不調に陥ると「終わらせる」思考が強まる
- 順算を後押しするための記録
- 記録と振り返りの目指すところは「シンクロ率」の向上
- 記録と振り返り習慣の実践事例
