前回の記事の続きです。
上の句のみで、下の句があとに続きそうです。
- タスクシュートがプロンプトだとすると?
- ○○は××ということになる。
という具合に。
当然、○○はタスクシュートを使っている「人」であり、××は「AI」でしょう。
- AIがプロンプトに従って返答を出力するように、
- 人はタスクシュートに従って流れるように動く。
というわけです。
とはいえ、AIがプロンプトの内容すべてを満たした返答をしないのと同様に、人もまたタスクシュートの内容をもれなく実行するわけではありません。
つまり、実行主体(AIや人)とその出力結果(実行結果)の間は常にブラックボックスがあるのです。
おのずと、次のような問いが浮かぶでしょう。
- 自分は「プロンプトとしてのタスクシュート」を適切に書けているだろうか?
- 「ブラックボックスとしての実行」に、余白や遊びは残されているだろうか?
- タスクシュートから「意図せぬ出力」が得られたとき、それをどう受け取っているだろうか?
これらの問いに向き合うことは、必然的にタスクシュートを自身の中でどのように位置づけるのかを考えることになります。
一つひとつ見ていきます。