ドラッカーの以下の言葉をご存じの方は多いでしょう。
報告書の作成に6時間から8時間を要するとする。
しかし1日に2回、15分ずつを3週間充てても無駄である。得られるものは、いたずら書きにすぎない。
ドアにカギをかけ、電話線を抜き、まとめて数時間取り組んで初めて、下書きの手前のもの、つまりゼロ号案が得られる。
その後、ようやく、比較的短い時間の単位に分けて、章ごとあるいは節ごと、センテンスごとに書き直し、訂正し、編集して、筆を進めることができる。
一気に直列に何かを進めるには「まとまった時間」が要るわけです。
このくだりはあまりにもインパクトが強いために、折に触れて脳裏によぎります。
そして、同時に同書の以下のくだりも芋づる式に思い出されます。
継続して時間の記録をとり、その結果を毎月見ていかなければならない。最低でも年2回ほど、3、4週間記録をとるべきである。
記録を見て、日々の日程を見直し、組み替えていかなければならない。
半年も経てば、仕事に流されて、いかに些事に時間を浪費させられていたかを知る。
この2つのくだりを縒り合わせて考えてみると、気づくことがあります。
キーワードは「まとまった時間」と「些事」の2つです。