前回の記事で、
- レビューによって記憶と記録のギャップに気づき、これを補正することができる
と書きました。
残した記録を読み返すことで、その記録を残したときに考えていたことを思い出すことができます。
言い換えると、その記録を残していたときの自分(の状態)に一時的に戻ることができるのです。
ちょうど、アスリートが自分のパフォーマンスを動画撮影し、これを後から見返すときの感覚に近いでしょう。
動画を見返すことで、そのときの自分を客観的に見直すことができるため、単に思い出そうとするだけよりも多くの情報に触れることができるはずです。
- あのときの自分はこういうつもりで動いていた(主観)
- しかし、動画で確認してみると、思っていたのとは違う動きに見える(客観)
というギャップに気づきやすくなるのです。
動画ほどではありませんが、日々の行動の記録を文字で残しておき、これを読み返すことで、同じようにギャップを目の当たりにすることができます。
例えば、タスクシュートで何か1つタスクを開始し、そして終了させると、即座にそのタスクの実績時間(かかった時間)が画面上に表示されます。
- けっこう時間かかったな(主観)
- しかし、タスクシュートによると12分と意外と短い(客観)
タスクシュートによる記録がなければ、
- けっこう時間かかったな(主観)
という記憶だけが印象に残ることになり、記録(12分かかった)による補正がかかりません。
そのタスクに対して「このタスクはけっこう時間がかかるのだ」というイメージが付くことで、以後スケジュールを組むときに必要以上に警戒するようになってしまうかもしれません。
一方、記録による補正がかかっていれば、すなわち「けっこう時間がかかったな」と感じた直後に「12分」という具体的な数値を目にしていれば、「思ったより時間はかからないのだ」というイメージで記憶を上書きすることができます。
記憶を記録で補正することで、感情が不必要に暴走するのを抑えることができるわけです。
これとは別に、記録にはもう1つ、別の効用があります。
僕自身はもっぱらこちらの効用を得たいがために、日々せっせと記録を残しているところがあります。