前回の記事で、『男はつらいよ』(シリーズ全50作)を少しずつ観進めていることを書きました。
観ながら たすくまにメモを残しつつ、観終えたら該当のWikipediaのページを熟読し、さらにメモを追加。
一日の終わりにたすくまのメモをEvernoteに送信し、翌朝に「回収」します。
「回収」の中身は、Evernote上の前日にたすくまから送信されてきたメモをScrapboxに転記していく、というもの。
図にすると以下のようになります。
この図の特徴は、上から下に向かって流れていくこと。
一番下の「Scrapboxに転記」から「映画を観る」に遡ることはない、ということです。
映画を観るまで、どんなメモを書くことになるのかは分からず、メモをScrapboxに転記するときにどんなアイデアを思いつくのかを事前に予想することはできません。
歩いたところが道になるように、やってみて初めてどこに進もうとしているのかが分かり、そこから次にどこを目指せばいいのかが見えてくる。
このような歩き方においては最終的なゴールを事前に設定しようがなく、「とりあえずあの丘を目指す」という見えている範囲内で少しずつ道を踏み固めていくことになります。
『男はつらいよ』もまさにこのような形で制作が行われたようです。
- 最終的に50作作ることになるから、全50作のストーリーをしっかり作り込んでから1本目の撮影に入りましょう
ではなく、
- とりあえず1本目を作りましょう
という見切り発車的にスタート。
より厳密に言うと、次のような経緯がありました(Wikipediaより)。
- 映画版に先立ち、ほぼ同じキャストたちによるテレビドラマ版があった
- 最終話でハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島にハブを取りに行って逆にハブに噛まれて死んだ
- 「この結末はあんまりだ!」という視聴者からの抗議が殺到
- この抗議を受けて映画版の制作が決定
- 当初は2作で終わる予定だったものの、公開してみたら大ヒット
- そのまま第3作、4作と続けて制作され、最終的に全50作を数えることに
このような展開はどこまで計画できるでしょうか?
そもそもテレビドラマ版に対する視聴者からの抗議が殺到することは予想できなかったでしょう。
この抗議を鎮めるため、というどちらかというとパッシブな動機で始まった企画にもかかわらず、フタを開けてみたら大ヒット、という結果も同様です。
やはり、常に見えている範囲内でしか計画は立てられないわけです。
そのようにして流れに身を任せるように作り続けられた『男はつらいよ』シリーズからは、
- どこまで計画して、どこからはアドリブでいくか
というバランスの取り方が学べるのではないか。
そのように考えて、日々観進めています。
以下、実際にどんなメモを残し、どのようにScrapboxに転記し、そこからどんな展開が起きているのかについてご紹介します。