なかなか取りかかれないことは「やってみないと分からないこと」と言い換えられるのではないかと思います。
「やってみないと分からない」ということは「やってみれば分かる」わけで、そうであればさっさとやってみればいい。
にもかかわらず、なかなか取りかかれないとしたら、「やってみる」コストが「分かる」メリットに見合わないからでしょう。
このような状況では、「やってみなくても分かること」が魅力的に映ります。
「やってみる」コストがほとんどかからずに、「分かる」メリットが確実に得られるからです。
例えば、
- やってみないと分からないこと:新しい習い事を始める
- やってみなくても分かること :電球を交換する
電球を交換するときに、「交換してみて、今までよりも暗くなったらどうしよう」という不安を感じることはほとんどないでしょう。
電球が切れたから買い置きしてある新しい電球に付け替える、ということで、おなじみの手順を踏めば確実に今までの「明るさ」が手に入ります。
新しい習い事を始めようか悩んでいるときに不意に「電球が切れた」というイベントが発生すると不思議と気持ちが軽くなることはないでしょうか。
それは、一時的であれ「やってみないと分からないこと」のプレッシャーから解放され、「やってみなくても分かること」にいそしむことができるからです。
ラクに成果が得られると言ってもいいでしょう。
ただ、このようなラクなチョイスをくり返していくと、必ず行き詰まります。
タスクリストが「やってみないと分からないこと」ばかりになるからです。
これを防ぐにはどうすればいいか?
当然、「やってみないと分からないこと」にアタックしていけばいいのですが、すでに書いた通り魅力的な「やってみなくても分かること」がある限りは容易ではありません。
「やってみないと分からないこと」は常に「やってみなくても分かること」に競り負けるのです。
これを覆すにはどうすればいいか、ということです。