興味深い論文を読みました。
冒頭のSummaryは以下です。
研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまた締め切りぎりぎりになる。なぜできないのだろうか?我々はあほなのだろうか?本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。
対象は「研究者」となっていますが、「締め切り」を抱えている方であればもれなく全員に当てはまる内容だと思います。
論文は以下の3つについて書かれています。
- 締め切りギリギリになる(または遅れる)理由
- 「計画をたてて余裕をもってやる」がなかなか身につかない理由
- まとめと今後の課題
通して2度読みましたが、「締め切りギリギリ」の捉え方が自分とは異なるところがあり、興味深く感じました。
タスクシュートを使っている方であれば、似たような感覚を持たれるかもしれません。
そもそも「締め切りギリギリ」は誰しもが「なるべくなら避けたい」と考えているものでしょう。
同時に「締め切りギリギリ」だからこそ得られる“ブースト効果”は確かにあり、使えるならこの効果は使いたい、とも。
つまり、
- 「締め切りギリギリ」を避けるにはどうすればいいか?
- 「締め切りギリギリ」を避けつつもその“ブースト効果”は使いたい場合はどうすればいいか?
という「二兎」を同時に追いたい衝動がそこにあるわけです。
タスクシュートを使っている方は、実は知らず知らずのうちにこの「二兎」は「一兎」にうまくまとめることができているのではないかと考えています。
問題は何か?
論文の「はじめに」に以下のような記述が見えます。
早めに余裕をもってやらないといけないというのは分かっているが、毎回毎回、論文投稿の締め切り直前になって論文が完成する。
自分でやっていることなのに、あたかも自然現象であるかのような書き方です。
- 論文はいつでも自分のコントロールの及ばないところで完成する
それゆえに、
締め切り直前になるのはそうならざるを得ない理由がある(からではないか)
という仮説を立てているのでしょう。
「早めに余裕をもってやらないといけない」、すなわち自分のコントロールの下で完成まで持っていかないといけないのに、それを許さない何かがあり、同時にそれをするより高いメリットがあるわけです。
- 「早めに余裕をもって~」が許されないために、やむを得ず余裕をゼロにする
- 結果として「締め切りギリギリ」のラインを攻めることで高いメリットを享受しつつ実行できる
この「高いメリット」が冒頭に書いた、
- 「締め切りギリギリ」だからこそ得られる“ブースト効果”
です。
例えば、9月30日が締め切りの調査報告書を抱えているとします。
「早めに余裕をもって」完成させようとするとき、使える時間はちょうど40日です。
当然ですが、40日のすべてを調査報告書に割り当てるわけにはいきません。
では、どれぐらい割り当てれば充分なのか?
正確には分かりません。
不安です。
かけようと思えばいくらでも時間がかけられるがゆえに、決めきれないのです。
すると、どうなるか。
- さすがにそろそろ着手しないと間に合わなくなるかもしれない…
という不穏な見通しがうっすらと見えてくるまで、そのつもりがなくても、放置を決め込むことになるのです。
いわゆる、「火が付く」まで手がつけられないわけです。
では、いつになったら火が付くのか?
それが分からないのです。
それが証拠に、
毎回毎回、論文投稿の締め切り直前になって論文が完成する。
と書かれています。
毎回、「目分量」で何とかしているという現状がそこにはあります。
とはいえ、このようなやり方ではいつか締め切りを破ってしまうかもしれない。
そこで、ベストな着手タイミングを割り出すべく、論文の中では「ネルー値」という、研究者における精神的ゆとりを表す単位が提案されています。
ただ、個人的には難しく感じました。
そこで、もう少しシンプルに考えてみます。