時間は「十分にある」のか「足りない」のか・その3

前回の記事の続きです。

不意に思い出した、僕が子どもの頃に観ていた「噂の刑事トミーとマツ」というテレビドラマ。

このドラマに登場するトミーとマツという対照的な人格を誰しもが自身の中に同居させているのではないか、というところから

  • マツ:象使い
  • トミー:象

という役割分担に思い至ります。

マツはトミーが平時には発揮することのない「底力」を必要なときに解放する術を持っていますが、自分たちが窮地に陥るまで、つまりギリギリまで解放しません。

もったいぶっているかのようですが、使いどころを慎重に見極めており、ここぞというときまで温存しているという見方もできます。

とはいえ、この「底力」を解放しさえすればいつでも窮地から脱することができるわけではありません。

そのためには、1つ条件があるのです。

この条件について考えてみます。

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