『佐々木さん、自分の時間がないんです』の中で佐々木正悟さんは以下のように言っています。
依頼された内容について、その体験に最大限を注ごうと決めると、行為の意味が大きく変わってきます。
なんというか、「エネルギーを出し惜しまない」ということなんですよ。 出し惜しまないということは、そこから最高の体験を得ようとすることなんだと思うんです。
反対に出し惜しみをするということは、「その行為から満足感を得ることに、たいして期待しない」という意味になるはずです。
つまり、出し惜しみをすることは、満足することさえも惜しんでしまうことになる、というわけです。
とはいえ、「出し惜しみをしないようにしよう」などと意識すると、かえって「この程度ではまだ出し惜しみかな?」とか「これくらいやれば文句はないよね?」といった、“評価”に囚われがちになります。
「出し惜しみをしない」というのは結果としてそうなるのであって、そうなることを目指すものではない、ということです。
振り返ってみると、過去にうまくいった仕事(=自分にとっても、依頼相手にとっても満足度の高い成果を出せた仕事)というのは、例外なくこの「出し惜しみをしない」姿勢で取り組んでいたことに気づきます。
そもそもなぜ「出し惜しみ」という意識が生まれるのでしょうか?