ふと、小学生時代のある日の出来事を思い出しました。
その日は近所に住む、一つ年上の友人が家に遊びにきていました。
どういう経緯かは忘れましたが、彼は僕の部屋の片隅にあるおもちゃ箱を漁り始めました。
その箱に入っているのは、僕にとっては“ガラクタ”ばかり。
彼が漁り始めるまでその箱の存在すら忘れていたほどでした。
一方、彼の方はむしろ興味津々で、箱からおもちゃを一つ取り出しては「これ、もらっていい?」と次々と僕に尋ねてきます。
それぞれがどんなおもちゃだったのか、今となってはまったく思い出せないのですが(その一つは、一世を風靡した超合金のロボットだったことは何となく覚えています)、とにかく自分にとっては「過去」になったものばかり。
とはいえ、いずれも買ってもらったときには夢中になっていたはずです。
「もらっていい?」と尋ねられるたびに「あぁ、まだこれあったんだ…」と懐かしく感じつつ、同時に(ずっと遊んでいなかったのだから、もう要らないよな)ということで「いいよ」と気安く答えていました。
その後も彼は次々と目ぼしいおもちゃを掘り出しては「これもいい?」とねだってきます。
こうして、彼の前には箱から出されたおもちゃたちがずらりと並びます。
その光景を目にした途端、急にそれらのおもちゃを失うことに抵抗を感じ始めました。
その後のことはあまりよく覚えていないのですが、次に思い出されるのは彼が手ぶらで帰るシーン。
そうやって泣けば何でも許してもらえると思ったら大間違いだからな!
という捨て台詞を残して、去って行きました。
すでに飽きたとばかり思っていたおもちゃたちでしたが、それを失うとなったら「手放したくない」という気持ちが沸き起こり、泣きついて許しを請うたのでしょう。
彼としても、もらえると思ってワクワクしていたこともあったはず。
それが覆されたことによる苛立ちや失望や怒り。
そんな負の感情の充満した雰囲気、捨て台詞、立ち去っていくときの後ろ姿などが未だに忘れられないのです。
なぜこのような思い出話を書いているかというと、まさにこの、
- 失うとなったら「手放したくない」という気持ち
の強さを日々活用していることに気づいたからです。
記録の振り返りにおいて、この気持ちを活用できるようになれば、より多くのことを記録から引き出すことができます。
というより、自分でも気づかないうちに活用していた、という方が正確でしょう。
具体的には、以下の記事でもご紹介したLogseqのフラッシュカードを使った振り返り手順です。