「タスクシュート通りに過ごせない日」について考える

愛用のツール(アプリやガジェット)を使っているときに生じる「すごくいいな」と「イマイチだな…」という感情について考えてみます。

僕の場合は、もっとも身近なツールがタスクシュートなので、タスクシュート(たすくま)を使っているときのことを思いだしてみると、それぞれ次のようになります。

▼「すごくいいな」という感情

  • 今日やるべきことがすべてここに集約できている
  • 今日やらなくてもいいことは明日以降のタブもしくは別のツールに待避させてある
  • 今やるべきことが現在のセクションに集められている
  • 今やらなくてもいいことは別のセクションに待避させてある
  • 現時点での終了予定時刻が見えている

ひと言でまとめるなら「現状を正しく把握できている」という安心感です。

もちろん、見落としもあり得るので、絶対的なものではありません。

▼「イマイチだな…」という感情

  • このタスクは昨日もできなかったな…今日はできるだろうか?
  • どのタスクも優先度が高いな…でも、どれも落とせないぞ…
  • 終了予定時刻が受け入れがたい時刻になっている…どうすればいい?

ひと言でまとめるなら「できることならこの現実から逃げ出したい!」という不安です。

いずれの感情も、元を辿れば自分自身が作り出したもの。

どんなタスクをどれだけ盛り込むか、タスク名はどうするか、どんな並び順にするか、などを考えながら、その考えた結果をタスクシュートに転記することになるからです。

その日のタスクシュートを作るのも、実行するのも、同じ自分自身なのですが、なぜかこの2人は別人のように振る舞います。

  • さすがにこれは今日やらないと
  • いや、簡単に言うけど、ご覧のとおり今日はもう余裕がないから無理ですよ

という無言の押し問答が交わされるのです。

とはいえ、いつまでも問答を続けるわけにもいかないため、多くの場合、妥結点を見出せないまま実行フェーズに突入することになります。

そうであれば、こんな押し問答などせず、目に付いたタスクや気になるタスクからどんどん取りかかってしまった方が手っ取り早そうです。

でも、たとえ時間や手間を要するとしても、この押し問答は欠かせないと僕は考えています。

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