取りかかれるかどうかは時間選好率に左右されるかもしれない

時間選好率という言葉をご存じでしょうか。

時間選好とは「将来の消費よりも現在の消費を選好する程度」という意味です。

言い換えると、“いま”の価値を高く評価する姿勢であり、将来のことよりも目先のことに注意を向けやすい、ということになります。

僕はこの言葉の意味を知ったとき、真っ先にアリとキリギリスの寓話を思い出しました。

キリギリスは時間選好率が高く、アリは低い、と言えます。

キリギリスは“いま”を楽しむことができますが、アリは楽しみを先延ばしして粛々と将来に備える活動にいそしみます。

この寓話はアリの態度を支持していますが、ではキリギリスのようなあり方はナシなのでしょうか?

一見するとキリギリスのように派手に振る舞いつつも、実は将来への備えも手抜かりがない、つまり、“いま”の楽しみを犠牲にすることなく、“冬”に困窮せずに済む程度の蓄えを残すようなハイブリッドなあり方では?

一方、アリはあらゆる活動について、抵抗なく取りかかれるように負荷の調整とリピート頻度を調整することで安定的に“業務”を回せるように仕組み化しているかもしれません。

そして、その仕組み化とこれを回すこと自体を楽しむことができているなら、アリのようなあり方はアリでしょう。

でも、そのような仕組み化に楽しみを見出せず、むしろ苦痛にしか感じられない人にとってはナシであり、キリギリス派に傾倒することになります。

ただし、何も考えずに“いま”を楽しむだけの旧キリギリス派ではなく、実は将来への備えも手抜かりがない方の新キリギリス派です。

“いま”の楽しみを犠牲にすることなく、それでいてここぞというときにはタイミングを外すことなく取りかかれる。

そんな新キリギリス派に転向するにはどうすればいいか?

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