日々大量に発生する「メモ」が「処理」できないことは本当に問題なのか?

前回の記事の続きです。

全部で5種類のメモ事例を挙げつつ、それぞれについてどう「処理」すれば良いか、という問題提起をしたところ、たくさんのコメントやメールをいただきました。

ありがとうございます!

それぞれ興味深く読ませていただくとともに、前回の記事の冒頭で書いた

同じような課題を抱えている方は少なくないと思うのです

は、確信に変わりました。

そんなわけで、この問題について連休中にずっと考えていたのですが、一つ見落としていたことがありました。

それは、

  • そもそも、日々大量に発生する「メモ」が「処理」できないことは本当に問題なのか?

という大前提です。

もちろん、せっかく手間と時間をかけて残したのですから、これらが活用されないまま放置されているとしたら、当然何とかしたいと誰しもが思うでしょう。

でも、よく考えてみると、これはさしたる問題ではないかもしれない、と思い至りました。

以下、思考プロセスを辿ってみます。

  • なぜ、さしたる問題ではないのか?
  • 「メモ」の目的を再定義する
  • 「メモ」が活用できるときはどういうときか?

今回は

  • なぜ、さしたる問題ではないのか?

について。

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