今朝、以下のようなツイートをしました。
「ミスター・ガラス」(2019)を観た後に町山智浩さんの解説音声を聴いて言及のあった「逆襲のシャア」(1988)を観始める。
ずっと前からウォッチリストに入っていたけど、この流れで観始めるからこそ入ってくるものがある。
「ウォッチリストにあるから観る」のではバターもジャムも塗らないトーストみたいになってしまう。
「いつかやりたいこと」はそのタイミングがやってくるまでは無理に取りかからなくてもいい。 そのタイミングがやってくれば無理なく自然と取りかかることになるので。
ウォッチリストとは、Amazonプライムビデオにおける「観たいものリスト」であり「いつかやりたいことリスト」に通じます。
「何か映画でも観ようかな」と思ったとき、このリストから作品を選ぶことになります。
ところが、実際にはアプリを開いたときに目に入ってくる「新着作品」や「人気作品」の再生ボタンを押してしまうことがしばしばあります。
「観たいものリスト」から選ぶつもりが、「観たいものリスト」にすら辿り着けないのです。
その意味では「新着作品」や「人気作品」はさながらキャッチセールスのよう。
そんなキャッチセールスをうまくかわすことができれば、めでたく「観たいものリスト」に到達できます。
ところが、不思議なことにリスト上のどの作品もいまいちピンと来ないのです。
確かにどれもこれも過去の自分が
- これは観たい! でも今は時間がないから後で…
ということでリストに追加してきたものです。
「観たい!」と思ったはずなのに、時間ができたのでいざ観ようとすると、選べない。
リストにはすでに数え切れないほどの作品が登録されていますから、少なくとも1つは「今の自分が観たいのはこれだ!」と思えるものがあるはずなのに。
どれを観るかを吟味しているうちに数十分たってしまうこともざらにあるでしょう。
吟味するだけで疲れてしまって、何も見ずにアプリを閉じてしまうこともあれば、結局は「新着作品」や「人気作品」の中から適当なものを1つ選ぶこともあるかもしれません。
このときに味わう気持ちは、冒頭のツイートに書いた「バターもジャムも塗らないトースト」に近いです。
確かに空腹は満たされるものの、「食べたいと思っていたのはコレジャナイ」という不満が残るのです。
あるいは、これは考えてみると不思議なのですが、あえてバターもジャムも塗らずにプレーンな状態で食べたい、という特殊な欲求に従うことがあるのです。
言ってみれば「勝負から降りる」ようなモードです。
ここに前回の記事で書いた「発火」が関わってきます。