「続けていても意味がない」習慣を続ける理由

毎日、ランチ(と時々買い物)のために外出しています。

その際、目に留まった風景の写真を何枚か撮り、一日の終わりに見返した上で「これは良い」と感じた写真にはお気に入り(ハートマーク)を付けます。

そんなお気に入り写真、以前はInstagramに投稿していたこともあったのですが、今はお気に入りを付けるだけで終わっています。

つまり、

  • 写真を撮る
  • 一日の終わりにその日に撮った写真を見返す
  • 「これは良い」と感じた写真にお気に入りを付ける
  • お気に入りを付けた写真をInstagramに投稿する

という4ステップのうち最後のステップを省いて以下の3ステップに落ち着いているわけです。

  • 写真を撮る
  • 一日の終わりにその日に撮った写真を見返す
  • 「これは良い」と感じた写真にお気に入りを付ける

お気に入りを付けた写真はその後に見返す機会はめったにありません。

少なくとも「お気に入りを付けた写真を見返す」というリピートタスクは作っていないため、たまたま目にする以外の接点はそこで失われてしまうことになります。

当日に残した記録をその日のうちにざっと振り返るというデイリーレビューのみで、週次レビューや月次レビューを行わない、ということです。

そうなると、何のために写真を撮っているのだろうか、という疑問がわいてきます。

もちろん、撮ること自体が楽しみであり目的なので答えとしてはそれで十分でしょう。

でも、あるとき「このために撮っている!」という強い確信が得られました。

この確信が得られたことで、今後に撮ることになる写真はもちろん、それまでに撮ってきた写真にも意味が付与されることになりました。

このことは日々の風景写真を撮ることだけに限らず、様々な習慣にも当てはまるでしょう。

すなわち、「続けていても意味がない」と感じていても、何かのきっかけで不意に意味が付与されることがあるのです。

ということで、以下の2つについて考えてみます。

  • 1.「このために撮っている!」という強い確信が得られたきっかけと内容
  • 2.「続けていても意味がない」と感じている習慣をいつ見切るか

今回は1について。

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