記録と振り返りを通して何を得たいのかを考える

Twitterコミュニティ「タスクシュートユーザーの集い」にて

以下のご質問をいただきました。

大橋佐々木両氏のモーニングルーティーンの美しさに近付きたい夢破れ続けて早何年…w

同時並行的にこなすタスクが多い、家族が絡む等の理由で?内容も順番も日によって確定出来ない朝時間を「弁当・朝食作り他色々やって送り出す」でひとまとめにしたくない場合は?

ご質問いただいた方に深掘りしてみたところ、

logが残らず改善出来ない、行き当たりばったり感を抱えたままだから「ひとまとめにしたくない」。

改善のチャンスを失ってる感じがしてますね~

とのこと。

前回の記事「どんな記録をどのように残せばパターンを炙り出しやすくなるか?」と重なるところもありつつ、

  • 記録がうまく残せれば問題が解決するのだろうか?

という点も気になり始めました。

そもそも記録とその記録を振り返ることを通して、何を得たいのか。

そこに正解はありませんが、だからこそ自分にとっての最適解は何であるのかは一度考えておきたいところです。

ということで、僕自身のことも振り返りながら、考えてみます。

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