「現実」に教えてもらうためにタスクシュートを使う

僕がタスクシュートを使い始めた、というか作り始めた目的は、

  • 抱えている仕事を一元管理したい
  • 期日までに終えられる見通しをつけたい
  • 毎日の仕事量を明確にし、これをこなすことで安心して退社できるようにしたい

という3点でした。

当時の僕にとってのタスクシュートは仕事の成果を最大化しつつ、会社にいる時間を最小化するために使っていたことになります。

そして会社以外で過ごす、いわゆるプライベートの時間を確保することを目指していました。

数年後に会社を離れ、朝起きてから寝るまでの全時間をタスクシュートで管理している現在の僕にとってのタスクシュートはまた違った位置づけになっています。

すなわち仕事とプライベートのバランスをタスクシュートの中と外ではなく、タスクシュートの中で取ることになっています。

例えば、前回の記事で書いた、明らかに仕事ではないものの、もしかすると巡り巡って直接・間接的に仕事に繋がるかも知れない活動の時間をリピートタスクとして組み込むことを意識しています。

言い換えれば、明らかに仕事であるタスクの数を減らす、ということです。

減らそうとしなくても自動的に減っていく、と言った方が正確かもしれません。

一日にどんなに仕事を詰め込んでも、結局やり切れないという現実が記録として残ることで、減らすつもりがなくてもおのずと減っていくからです。

本を読んだり、映画を観たり、筋トレをしたり、といったリピートタスクは「タスクシュートにタスクとして登録されているから実行する」(登録されていなければ実行し忘れるかもしれない)側面もありますが、登録されていなくても衝動的に実行することはあります。

当然、その場合は実行した記録がタスクシュートに残ります。

その結果、心身の望む時間の使い方がタスクシュートに“写し取られる”ことになるでしょう。

ここで次のような疑問を持たれるかもしれません。

  • そんなことをしたら、どこまでも堕落し続けてしまうのではないか?

今回は、この疑問について、掘り下げてみます。

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