なかなか取りかかれないタスクに、ある「きっかけ」を機に不意に取りかかることができたとき、そこで何が起こっているのか。
そこで起こっていることを意図的に再現することができれば、「タスクの取りかかり問題」は以後は問題ではなくなるでしょう。
残念ながら、しかし「そこで起こっていること」はその時々で変わるために、もし寸分違いなく再現できたとしても同じ結果は得られないことがしばしばです。
例えば、
- 午前中にメールチェックをする前に着手すると取りかかりやすい
- 散歩中に取りかかるための良いアイデアを思いつきやすい
- 前日のうちにラフを作っておくと、それが呼び水となって取りかかりやすい
といった「必勝法」です。
まるで昔話の「こぶとりじいさん」のようです。
以下のようなお話です(Wikipediaをもとに“超訳”)。
- 《爺さんA》は右の頬にできたこぶに悩んでいる
- そんな《爺さんA》は芝刈りの途上で鬼共の宴会に遭遇
- 鬼たちの囃子が面白く感じ、つられて彼らの前で舞を披露する
- その結果、鬼たちに気に入られ「明日も舞え」と所望される
- 帰り際、この約束の質(かた)として頬のこぶを取られる
- この話を聞いた、左の頬にこぶのある《爺さんB》は同じ場所に出かける
- 《爺さんA》と同じように舞を披露するも舞の心得がなく、鬼たちの不評を買う
- こぶは返すから立ち去れ、と追い払われる
- 「こぶダブル」になった《爺さんB》はほうほうのていで逃げ帰る
《爺さんB》は、《爺さんA》と同じように振る舞っているにもかかわらず、《爺さんA》と同じ結果が得られず、それどころかやぶ蛇になるという展開。
それゆえ、一度うまくいったやり方を「必勝法」として墨守するのではなく、「一勝法」すなわち一回きりの効力しかないとみなして、その都度その場で「一勝法」を編み出していくしかありません。
これは、《爺さんA》のスタンスに通じます。
《爺さんA》は何の「前例」もない状態で、鬼共との遭遇という想定外に対して「一勝法」を繰り出したのですから。
では、どうすれば《爺さんA》のように振る舞えるのでしょうか?
そんな風に考えるのはそれこそ《爺さんB》的なスタンスになってしまいますが、それでも《爺さんA》なりの心得のようなものがあるはずです。
この心得について考えてみます。