タスクシュート上でタスク名を見て、「あぁ、これね」と何をすればいいのかは理解するものの、そこから先に進めない。
何をすればいいのかは分かっているのに取りかかれないのは、その「何をすればいいのか」の作業内容が何らかの理由により困難さを伴うものであると知覚しているからだと考えられます。
例えば、
- 1.それをするのにどれだけの時間がかかるのかさっぱりわからない(「沼」にはまることは避けたい)
- 2.それをするのに少なくとも1時間はかかる(今の自分にはそこまでの時間は割けない)
- 3.それをする方法が皆目見当がつかない(にもかかわらず「結果」は出さないといけない)
- 4.それをする方法はいくつか考えられるがどれか1つを選べない(まず選ぶことから始めないといけない)
- 5.それをする方法は自分の中で確立しており迷いはないがどうにも気乗りしない(ほかに優先すべきことがたくさんある)
といった困難さです。
時間の問題と方法の問題の2つに分けられますが、いずれであってもそこには「やるのならちゃんとやりたい」という基本方針があり、この方針を守れそうもないことが足を引っぱり、手を止めさせているように思えます。
もし、時間が無限に使えるなら1や2の問題は問題ではなくなり、迷わずすぐに取りかかれるでしょう。
5も、実は時間の問題なのでこちらも時間が無限に使えるようになることで取りかかれるようになるはずです。
残る3と4についても、突き詰めていくとやはり時間の問題に収斂します。
最短の時間で済ませられる方法なのか、最高の結果が得られる方法なのか、どんな方法を採用するのがベストなのかは、どれだけの時間が使えるか次第で決まるからです。
ここでも、時間が無限に使えるなら、3の場合は思いついた方法を片っ端から試していけばいずれはうまくいく方法を見つけ出せそうですし、4の場合はその「考えられる方法」をすべて試すことができます。
現実には、しかし、時間は有限なので、どこかで線を引かざるを得ません。
つまり「ちゃんと」を捨てるしかない。
最近、いろいろな映画を観ていてこの「ちゃんと」というものに人が囚われがちなことに改めて気づかされました。
ここから自分を解放できると映画をもっと楽しめるようになりますし、仕事についてももっと楽に取りかかれるようになるはずです。
まずは、映画を観ていて気づいた「ちゃんと」の呪縛から紐解いていきます。