タスクシュートに分単位で記録を残すのは何のため?

タスクシュートを使うのに慣れてくると、使途不明時間というものがなくなります。

常に、「いま何に時間を使っているか」をリアルタイムに記録に残すことになるからです。

もちろん、生身の人間ですから、うっかり記録を付け忘れることもあります。

例えば、

  • あるタスクAを終えて、本来ならそのタスクの終了時刻をタスクシュートに入力すべきところを、そのまま次のタスクBになだれ込んでしまう。
  • そしてタスクBの実行中に、ふとタスクシュートに目をやると、タスクAが実行中のままになっていることに気づく。

というような場合(ケース1)。

あるいは、

  • タスクAを終えて、終了時刻の入力も無事完了。
  • タスクシュート上で次に控えているタスクBが目に入るも、「その前に…」ということでふと気になったことについて調べ始める。
  • さほど時間はかからないと思って始めたものの、気づけば30分が経過
  • タスクシュートに目をやると、何も実行していない(=どのタスクの開始時刻にも時刻が入力されていない)状態。

というような場合です(ケース2)。

ケース1であれば、

  • タスクAを終えた時刻、あるいはタスクBを開始した時刻を思い出す。
  • その時刻をタスクAの終了時刻とタスクBの開始時刻に入力する(タスクAの直後にタスクBを開始した記録を残す)

ケース2であれば、

  • タスクAの終了時刻から「我に返った時刻」までの間を「調べ物」という実行記録で埋める。

といった「対応」が考えられます。

ここで改めて考えたいのは、こうした対応をするのは何のためなのか、です。

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