「まとまった時間」を最大限に活用するために

例えば、午後に予定されていたミーティングがキャンセルになり、そのまま午後はまるまる自分で自由に使える時間となったとき。

こうした、予定外の「まとまった時間」が手に入ると、人はついこう考えてしまいます。

  • 半日あればいろいろできるぞ!

と。

その結果、そのまとまった時間を優雅に使い、期待していたような「いろいろ」はできずに夕方を迎えてしまう。

多くの人は「まとまった時間」を使う準備ができていないのです。

一方、最大限に活用できている人もいます。

例えば、ドラッカーは次のように述べています(『プロフェッショナルの条件』)。

報告書の作成に6時間から8時間を要するとする。しかし1日に2回、15分ずつを3週間充てても無駄である。得られるものは、いたずら書きにすぎない。ドアにカギをかけ、電話線を抜き、まとめて数時間取り組んで初めて、下書きの手前のもの、つまりゼロ号案が得られる。その後、ようやく、比較的短い時間の単位に分けて、章ごとあるいは節ごと、センテンスごとに書き直し、訂正し、編集して、筆を進めることができる。

また、梅田望夫さんも本の執筆に際しては「まとまった時間」が必要であることを実感を込めて語っています(『ウェブ進化論』)。

ここ数年考えてきたことをまとめればいいとわかっていても、さまざまな思考の断片を一冊の本へと構造化させるには膨大な集中の時間を要する。そのことは、書き始める前から想像がついていた。私の場合、日々の仕事の制約から、ほとんど人に会わずに一つのことに集中できるのは長くても5週間である。そこで、5週間精一杯ベストを尽くし、それでもまとまらなければ仕方ないと腹をくくり、毎朝午前3時に起床し、原則として午前中いっぱいを集中の時間に充てた。全部書き終えたときはふらふらだったし、今振り返るとその5週間についての記憶が曖昧である。そんなふうにしてこの本はできあがった。

この両者の事例から分かることは

  • 1.まとまった時間をどう使うかを明確にしている
  • 2.まとまった時間は見積もれない

という2つです。

それぞれ詳しく見ていきます。

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